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言語化が下手

僕は昔から、言語化がそんなに得意ではないらしい。

小さい頃も両親から「いきなり会話を途中から始めるな」「主語をちゃんと言ってくれ」「お前はいつも言葉が足りない」と指摘され続けた日々を思い出した。

立場柄、事業のことやチームのことや会社のことや自分のことを対面で直接話したりテキストにして伝えることが多いのだが、最近も言語化能力の無さに痛感することが多くて困っている。サボってた(?)ツケが回ってきたんだと勝手に思っている。何かしらの訓練で解決出来ないものか...。

みなさんよかったら教えてください。

一応、言語化能力を身につけられるような努力はしてみている。つもりでいる。

そのうちの1つが「人以外のモノに感情を持たせてみたり行動させてみる」というもので、これは思考が凝り固まったりすると辛いので、それを解消する目的も兼ねている。

今のところ「風を食べる」「日光を飲む」というような語彙が自然に口から出てくる訳ではないが、勝手に楽しんでいる。

前回、音楽に関するエントリを書いたけど、何か良い語彙を捻り出したかったり深く考え事をしたい時はひとりで音楽を聴かずにぼーっとしたり散歩をしたりする。

小袋成彬さんの『分離派の夏』がリリースされるにあたって公開されたISSUEを読んだ時、勝手に共感した記憶がある。何に共感したかは書きません。

散歩は本当に良いです。無料でいつでも出来てマジで良いので是非試してみてください。

ただ、都会にいると色々と騒がしくて何をしても独りにはさせてくれないので、こういうことは本当は自然の中でやりたい。でも、通常業務や経済的な事情も加味するとあまり現実的ではないのでこれについても何か良い方法はないのか探していたりする。

こちらもみなさんよかったら教えてください。


全然関係ないけど、種田山頭火の「焼き捨てて日記の灰のこれだけか」という詩はどんな境地に辿り着いたら出てくるものなんだろう、とこれを書きながら思った。

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音楽サイコー

とてもありきたりな書き出しだけど、音楽は僕の生活に無くてはならないものになっている。

音楽は孤独や苦痛から解放してくれたりしてくれなかったりする。

都会にいると時々、音が聞こえ過ぎたりモノが多過ぎたり人が多過ぎたり、とにかく情報量が多くて辛くなってしまうことがある。

心のバランスが保てない時にイヤホンを付けて音楽を聴く。音楽は生活のペースメーカーになってくれる。

音楽は生活の中に意義を見つける手助けをしてくれる。

辛い時、集中したい時、嬉しいことがあった時、頭を使わなくても出来る作業をひたすらこなす時、あらゆる場面で聴きたいと思える音楽がある。

1つでも多く増えるように友人から教えてもらったり、ストリーミングサービスで探したり、アルゴリズムに教えてもらったり、ネットサーフィンして探したりしている。

音楽は世代や性別、言語や国を越えて他人との関係を繋いでくれる。

エクスクルーシブな関係、インクルーシブな関係を繋いでくれる。インターネットがこれまで以上に関係を繋ぎやすくしてくれた。

音に乗せた詩はスピードと共に高く遠く、そして耳元に届く。

音楽を通じて、うつろう文化や時代、変わりゆく人々の生活を擬似的に体験することが出来る。

音楽からたくさんの事を知って、咀嚼して、生活のペースを作ることが出来ている。

生活はナイスか。音楽は僕の生活に無くてはならないものになっている。


音楽サイコー!

美しさを感じる瞬間

ごく稀に「あ、美しい(かもしれない)」と感じる瞬間に立ち会うことがある。

生きていてよかったと感じる数少ない瞬間の1つである。

http://blog.sjntn.com/hoge/EditEntry/126/ に書いた出来事もそうだった。

今覚えてる範囲で書くと、昔飼っていた犬が亡くなる直前にそう感じた。

当時は仕事で忙しかったので、両親から送られてくる動画から確認することがほとんどだったが、亡くなる1, 2日前に僕の目の前で足や身体を震わせながら大きく数回遠吠えした様子を見て「おお...これは美しいかもしれない」と。

瀬戸際時は度々僕たちから見えない場所に隠れたり、呼吸が浅くなってあまり動けない状態になっていた。前者についてはそういう習性があるらしい。

とにかく新鮮な気持ちだった。もう一匹の飼い犬が「こいつは亡くなったんだ」「もう戻ってこないんだ」と明確に理解した行動を取っていた時も少し関心した。分かるんかお前、と。


何かしら刹那的な要素があるとそう感じるのかな。

なんなんだろう。というか、彼女は天国でもたくさんご飯食べてたくさん寝てるのだろうか。

また思い出したらメモがてら書きたい。


先日の Masego のライブに行きそびれてとても悲しい。行きたかった...。